元久2年3月26日(1205年) 藤原定家ら「新古今和歌集」を撰進

元久2年3月26日(1205年4月16日) 藤原定家ら「新古今和歌集」を撰進。(明月記より)
1201年(建仁元年)の後鳥羽上皇の院宣いんぜんに基づき藤原定家のほか、源通具みちとも、藤原有家ありいえ、藤原家隆いえたか、藤原雅経まさつね寂蓮じゃくれん(完成前に死去)らが編んだ8番目の勅撰和歌集。短歌のみで、定家と父の俊成の美的なセンス(幽玄や有心など芸術至上主義)が反映されている。
「新古今和歌集」は重要文化財。

  • コメント: 0

関連記事

  1. 明治41年(1908年)3月23日 平塚らいちょうが森田草平と栃木県塩原の尾花峠で心中未遂。

  2. 推古元年1月15日(593年2月21日)法興寺(飛鳥寺)の塔の心礎に仏舎利を納める

  3. 建永2年4月5日(1207年5月3日)日記「玉葉」の九条兼実(59歳)が死去

  4. 行方不明となっていた重要文化財3件を文化庁が購入

  5. 嘉永2年4月18日(1849年5月10日)浮世絵師葛飾北斎90歳で死す

  6. 安政7年3月3日(1860年) 井伊直弼が桜田門外で暗殺

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。